顕正会で破綻した人生を正法で再構築

堀井 徳俊さんの場合

 堀井さんは、高校二年の時、異流義教団である顕正会に入会してしまいました。その当時は、顕正会が日蓮正宗から破門されてカルト化した教団だ、などとは知る由もなく、駆り立てられるようにして、狂信的な活動にのめり込んでいきました。
 そして、高校に通うのも馬鹿らしくなって、不登校になっていきました。そのような中、精神のバランスを失い、対人恐怖症になっていき、顕正会の活動からもフェードアウトしてしまったのです。

 活動に出てこなくなった堀井さんに、顕正会の幹部は「活動ができないような中途半端な人生なら死んでしまえ」と恫喝してきました。それがキッカケで、顕正会から完全に離れることになりました。
 その後の堀井さんは、顕正会で刻みつけてしまった大謗法の罪障が、一気に噴き出してきたかのごとく、生命力もなくなり、体調不良で全身の至る所に痛みが走るようになって、完全な引きこもりになってしまいました。

 ところが、引きこもりとなって五年が経過した平成十四年、インターネットを検索する中で、顕正会と闘っている妙観講の存在を知り、後日折伏を受け、その日のうちに御授戒を受け、日蓮正宗に入信しました。
 それからというもの、堀井さんは、日蓮正宗の御本尊様を拝して五座三座の勤行を行なっていったところ、何とも言えない清々しい歓喜が込み上げ日蓮正宗に入信できて本当に良かったと、何度も、何度も、御本尊様に御礼申し上げました。
 そして、勧められるままに妙観講の本部講習会に参加しました。対人恐怖症だった堀井さんにとって、たくさんの人が集まる本部講習会は、怖くて、息苦しくて、辛いはずなのに、気がつくと、大草講頭の話にクギ付けになっていました。
 顕正会の浅井昭衞が、大地震が来る、大戦争が起きる、と根拠のない予言ばかりを繰り返すのに対して、大草講頭は、この信心を根本にしていけば、どのような悩み・苦しみも乗り越えて幸せになっていける、と訴えており、そのお話は、希望に満ちていて、堀井さんは、本当に大聖人の仏法を実践して幸せになっていきたいと、心から思うことができました。

 そして、顕正会で刻んだ重い罪障を消すために、毎日のように顕正会の藤沢会館や新横浜会館に行っては、顕正会員を端から折伏していきました。
 その結果「裏切り者!」「浅井センセーに土下座して詫びろ!」などと、ありとあらゆる悪口を浴びられ、時には、いきり立った顕正会員から殴りかかられることもありましたが、その都度に「これで少しでも罪障消滅させていただけた」と、喜び、さらに折伏していきました。

 そして、入信してから百日が経過した頃、まわりの人から、「以前よりずっと顔色が良くなったね」と言われるようになり、人と話すことが少しも怖くなくなっている事に気づきました。そして、入信半年が経った時には、神奈川県の県会議員の秘書として雇用され、社会人の第一歩を踏み出すことになりました。 二十七歳のその時まで定職についたことのなかった堀井さんにとって、本当に信じられないような話で、計り知れない御本尊様の御力を実感しました。

 そして、秘書を退職し、その後は、親戚の経営する不動産会社に採用され、現在に至っています。
そのような中、不動産業務に必要であるから、ということで「宅地建物取引士試験」通称「宅建」の責格を取得するよう命じられました。 しかし、高校二年で学業を放棄してしまった堀井さんにとって、高すぎるハードルで、重荷でしかありませんでした。

十分な時間がなかなか取れない中、堀井さんはまず、真剣に唱題することから始めました。
会合で会場に行く往復四時間の移動時間も、すべて唱題していきました。「祈りとして叶わざること無し」の御本尊様です。その御本尊様に真剣に祈っていくと、生命力が溢れてきました。 そして試験が終わり、発表まで真剣に御祈念したところ、無事、宅建の試験に合格することができたのです。
本当に時間が無い中での受験だったので、合格できたのは御本尊様の功徳としかいいようがありません。
思えば、十数年前までの私は、顕正会に関わったことで、人生が破滅する寸前の状態でした。それが、精神的にも安定して社会復帰できたばかりか、今では仕事も順調で、班員さんのお世話までさせていただいています。本当に有り難い御本尊様に巡り合うことができ、感謝の念に絶えません。